こぼればなし



インテリジェンスの考察 2016,1,4

 自らの防備録の意味で書いています。昨年の暮れに、日本代表選手と会食する機会を得ました。もちろん、たくさんの人がいる中で、彼にとっては私はワンノブゼムでした。ワールドカップで南アフリカに奇跡の勝利を収めたこと、五郎丸選手のキャラクターと相まって、空前のラグビー人気の復活がありました。お会いした方も、主力選手だったためすごい人気です。

 現役のラグビー選手と話をさせていただくのは久しぶりでしたが、何か違和感がありました。そのときは、それが何かわかりませんでしたが、漠然と感じていたのはラグビー選手と話している感じがしないということでした。もちろん話している内容は、ラグビーですし、鍛え抜かれた肉体が放つ威圧感はアスリートそのものでしたが。同世代にはラグビー選手はいますし、入社後もラガーマンたちと接してきました。中には大学ラグビーのスターや日本代表の選手、外国人選手もいました。彼らを思い起こして、話をしようと思っていましたが、何か違うのです。
 それが何だったかは1ヶ月が過ぎてやっと言葉に出来ます。語弊のある言い方ですが、インテリジェンスです。これまでの接した選手たちも、「うっす」しか言わないような人たちでは無かったです。ただ、レギュラークラスになるほど、しっかり頭を使ってプレー出来ているのか疑わしく感じていました。「俺、頭の中まで筋肉だから」と花園優勝高出身の選手が語ったフレーズが今でも忘れられません。しかし、目の前にいる選手には、それが感じられなかったのです。むしろ、一流のビジネスマンと話している感じで、こちらも適当に持ち上げておけば相手も気持ちよくなるということはなさそうで、こちらも頭をフル回転して話についていかないといけない緊張感がありました。仕事をさせても一流だろうと思いました。
 日本代表の選手たちは、みんなこんな選手なのだろうか。それとも彼だけが例外なのだろうか。その後、テレビなどで出演するのを見ると、おそらく前者の方だと思います。これは、エディ前ヘッドコーチの指導によるものなのか、あるいは本物の一流選手とはそういうものかはわかりません。


 私個人の考えですが、これまでの日本のラグビーは、代表でも社会人でも大学でも、先天的なフィジカルが最重要視されてきたと思っています。体格、強さ、スピードが揃っている選手は限られていたため、これらがすべて備わった選手は自動的にレギュラーになり、チーム内でポジションのかぶる選手の強化はおざなりになっていたのかもしれません。もちろん、憶測です。ところが、近年、トレーニング理論が発達し、同時に吸収の早いアミノ酸などの開発など技術面でも進歩があります。高校、大学や社会人になってからでも、肉体改造が比較的容易になったと思います。実際に、4ヶ月で肉体改造したラガーマンを目の当たりにしています。普通の選手でも、意識があれば、最先端の技術を学んで、自らを強靱な肉体に変えることが出来るようになったと思うのです。ただ、骨格は変わりませんので、もともとフィジカルのある人が優位なのは変わりません。話が脱線しますが、強豪校で留学生選手を獲得しているのは、プレーの強化はもちろんですが、ウエイトトレーニングに時間をかけすぎずに、戦術練習に時間をかけられるメリットもあると聞いています。
 もちろん、一部だけ見て、全体を語ってはいけません。個人の感想と言うことでご寛容ください。ですが、日本でワールドカップが開催されている頃に、日本のラグビーがさらに進化しているのか、エディー効果の瞬間風速だったのか大変興味があるところです。その意味でも、今の考えを書き留めておきます。



 最後に、蛇足です。同志社大学についてもお話をお聞きしました。同志社卒ではない(今回のワールドカップは同志社卒が1人もいなかったです。)ですが、天理戦の後だったので、よくご存じでした。その中で、「以前の同志社はアンストラクチャーの状態ほどチャンスに変えていた。今はむしろ天理にやられている。特にバックスに迫力がない。」と指摘されていました。
 メモを取っていたわけでは無いので、いろいろ言われた中の一部分を切り取ってしまっていますが、自由奔放さが同志社大学から失われているということを言われているのでしょうか。あるいは、バックス選手の質の話でしょうか。
セカンドステージの3戦を通して、予言が当たっているような、予想をくつがえしてくれたような複雑な気持ちで見ていました。



ちざきバラ園 2012,8,13

 こぼればなし、13年ぶりの更新です。札幌市にある「ちざきバラ園」に行ってきました。
もう10年近く前になりますが、ある方とこのHPがきっかけでメールのやり取りをさせていただいたのですが、そのなかでその方の好きな場所として教えていただいたのがタイトルの場所です。旭山公園の近くです。当時はいつか行こうと思いながら、それ以降、北海道を訪れる機会がないまま忘れていました。今夏は仕事で旭川を訪れており、なぜかはわかりませんが、ふと思い出しました。今日、少しの時間ですが、札幌に立ち寄り、向かったのが、この場所です。

地下鉄の大通駅から市電に乗り換え、郊外の市電の駅まで路面電車の揺られました。駅からは、徒歩ですが、道が割とわかりづらく、行ったり来たりしました。今日の札幌は雨模様で8月なのに肌寒い気候でしたが、勾配はほどほどにきつく登り切ると汗ばんでいました。


 ちざきバラ園跡地(2012/08/13著者写す。)

ようやくたどり着いた場所で目にしたものは、「夏草や兵どもが夢の跡」でした。Ipadをもっていましたので、その場で調べましたが、すでに2年前に廃園になっていました。ちょっと来るのが遅かったようで、バラの面影もありません。
ウィキペディアによると、確かにこの場所は「400種類に及ぶバラが植えられ、高台に位置することから、同市市街地の眺望もよく観光名所の一つとなっていた」ようです。しかし、そんなことよりも、少女だった彼女を魅了した風景が、たった2年でこれほど、変わってしまったことに寂しさでいっぱいでした。敷地の奥には教会があり、その場所まで行くと当時のように、市街地が一望できるかとも思いましたが、やめました。その方がよいと思いました。

ちざきバラ園は、地元では根強い人気があったのでしょう。ネットでは、懐かしむ方々が、バラと市街地の鮮やかな写真をアップされています。あえて、今日の天気に少し似た曇った写真を借用しました。

 閉園前(youtubeより無断借用しました。)

今、関西に戻って、あの場所の印象は寂しさではありません。
今日見たのが蒸せるように草の生い茂った跡地だからこそ、当時の風景がよりいっそういきいきと思い浮かべられるような気がしています。ちざきバラ園のことはあと数十年すれば、すっかり人々の記憶からなくなるでしょう。でも、それでいいのだと思います。彼女にとっての原風景を見ることはかないませんでしたが、それがよかったのだと思います。



8/25には旭山公園を訪れました。
天気が良かったこともあり、暑い札幌でしたが、風が気持ちよかったです。

 旭山記念公園(2012/08/25)








工学部生
 1999,6,30

 工学部生が体育会系クラブを続けるのはかなり大変なことです。私もその1人でしたので、よくわかります。
月曜日から土曜日まで、目一杯、授業が詰まるのですが、練習時間がとれるように、1講目からびっしり埋めていき、夕方は講義を入れないようにしたものです。数年前までは体育会の学生は体育の講義は免除されていたのですが、最近はそれもなくなっています。それでも、1、2回生のうちは合宿などで、講義に出られない分を友人のノートを見せてもらったり、ダイヘンをしてもらったり、何とかやっていたものでした。
 ただ、工学部では3回生になると、実験が本格化します。これは、1回でも欠席すると単位がとれない、毎週、十数枚ものレポートの提出を義務づけられるなど、かなり厳しい状況でした。工学部は体育会所属の人はあまりいないせいか、クラブ活動は欠席の理由になることはまれでした。4回生は研究室に入ります。研究室ごとに状況は全く異なるのですが、厳しい研究室では夏休みがお盆の4、5日しかなく(会社より厳しい!)、夏合宿に参加したために、留年したなどという話も聞きました。

 卒業した私にとっては、しんどかったけれど、いい思いでといえるでしょう。
しかし、現役生には同情します。たとえば、筋力をつける場合、トレーニング、栄養、睡眠は必須要素です。ところが、練習のあと、大慌てでコンビニ弁当の夕食、そしてレポートのためほとんど徹夜。翌日はまた1講目から講義をうけて、夕方からはふらふらしながら練習。
これが、最も油ののる3、4回生で直撃するのは大学生の競技者にとっては致命的とも言えます。

 もちろん、文系の学生も大変です。しかし、工学部生は多かれ少なかれ、上記のようなかなり深刻な状況におかれています。
しかし、こんな環境でも文句一ついわずに、みんなまじめに取り組むのも工学部生でした。

 今年の主力選手の中にも、電気系の方がおられます。おそらくは厳しい環境の中で、想像を絶する努力をしているのもと思います。今日の日記ははそんな彼らへの心からのエールです。




慶應・日吉キャンパスにて
 1999,6,9

 慶應との試合は惜しくも、負けました。慶應というと、いつも思い出す事があります。

 あれからもう3、4年たつのでしょうか。慶應大の理工学部のある先生のところで勉強させてもらうため、3週間ほど日吉キャンパスに滞在しました。
 理工学部は日吉キャンパスのはずれにあるため、普通は駅からはメインのキャンパスは通らずに行きます。
私は散歩がてらにメインキャンパスを通って、通学していたのですが、これがかなりの上り坂。ちょうど、JR同志社前から田辺キャンパスの正門くらいでしょうか。これを登り切ったところに、わりと大きなメイン広場があります。ここは田辺のラーネッド前の広場や関学の広場とは雰囲気が違って、大きな白い柱の西洋風の古い建物に囲まれた空間で、ちょっと都会的です。芝生は一部分で、ほとんどがアスファルトだったと思います。ここはいろんなサークルの練習場になっているようで、チアーも練習してたりして、通るのが楽しみになっていました。

 ある日、タックルらしき練習をしている集団がいました。が、ちょっと素人ぽいので、同好会かアメフトかなと思いながら、足を止めて見ていました。見ていると、体育会のラグビー部のような気もします。もし、グランドで練習していれば、気にも止めなかったと思いますが、グランドを持たない同好会みたく、公共の場で練習していることが気になりました。確かめたいと思いました。
 しばらくして、休憩になったところで、思い切って、コーチらしき男性に話しかけました。「ひょっとして、ラグビー部ですか」。今思い出しても、恥ずかしい切り出し方です。しかし、コーチはすごく自然に、答えてくれました。ほんの2、3分の会話だったと思います。話した内容は忘れてしまいました。話をしてくれた方も、上田監督ではありませんでした。(その時は上田監督の存在を知らなかったので、その場におられたかどうかもわかりません。)
 だけど、話をしたことよりも印象に残っているのは、数人の学生がすれ違う際に「こんにちは」とあいさつをしてくれたことです。体育会的なあいさつではなく、自然で、笑顔さえ浮かべてくれました。

慶應も強くなりました。雰囲気の良さは当時のままでしょうか。
応援したいチームです。

 

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